卒業生の海外での活躍
平成27年に卒業しました濵田夏歩と申します。卒業生として記事を書かせて頂くことができ、大変光栄です。
私は、今年の3月に中央大学文学部日本史学専攻を卒業し、現在は、国際交流基金の日本語パートナーズ(日本語パートナーズは、主に、アジアの国々で日本語を教える先生や日本語を学ぶ生徒のサポートを行います)としてタイで活動しています。今回は、高校時代を少し振り返りながら、タイでどのような活動をしているのか、紹介したいと思います。
私は、目白に在学していたときに、日本史や古典の授業で、違う時代を生きた人々の感性に触れ、歴史を勉強することに魅力を感じ、中央大学文学部日本史学専攻に進みました。ですが、高校時代から漠然と海外への憧れや興味もありました。そのきっかけは、高校1年生の時に私のクラスに来たオーストラリアからの留学生です。外国人の友達ができたのは、その時が初めてでした。私にとって、留学生と過ごす時間は新鮮で、言語によるコミュニケーションがうまく取れなくても、些細なことで一緒に笑ったり、言語を教えあったりしたことはよく覚えています。また、その時に、違う国にも友達がいると、自分の今いる環境が全てじゃないと感じ、とても心強いと思いました。
大学では、自分が大好きな日本史を学びながらも、新宿区の外国にルーツがある生徒の学習支援のボランティアや国際協力についてタイで学ぶ研修に参加しました。その経験から、さらに日本語教育やタイの教育、文化について理解を深めたいと思いました。そこで、日本語教育やタイの文化について実際に現地で活動しながら、学ぶことができる国際交流基金の日本語パートナーズに応募し、現在に至ります。
そして今、私は、タイの最東ウボンラーチャターニー県の中高一貫校に派遣されています。私が住んでいるウボンラーチャターニーは、東はラオス、南はカンボジアに接しています。大型スーパーやデパートもあり、タイの東北地方の中では、大きな都市です。ベトナム戦争時には、ウボンラーチャターニーの空港からアメリカ軍機が出撃していたという歴史もあります。
私の派遣校は全校生徒が1600人くらいです。その中で、400人くらいの生徒が日本語を学習しています。専門のクラスで週に5時間、日本語の授業を受けている生徒と選択科目として週に2時間、日本語の授業を受けている生徒がいます。また、希望者を対象にした日本の文化を学ぶ日本語クラブもあります。授業は、タイ人の日本語の先生とチームティーチングで行い、私は、発音や会話のモデルを行うことが多いです。日本語が好きで、日本に興味があって勉強している生徒も多いですが、私の派遣校は昨年、日本語の科目が設置されたということもあり、日本や日本語に興味関心が薄く、学習意欲が低い生徒もいるので日々、生徒の学習意欲が高まるよう試行錯誤し、生徒との距離も縮められるよう努力しています。活動する中で、自分の無力さや理想と現実とのギャップに落胆することも正直ありますが、タイの美味しい食べ物を食べ、タイ人の温かさに触れて、とても充実した日々を過ごしています。また、タイでの生活を通して、臨機応変さと柔軟性が身についたと感じています。タイでは、突然、予定の変更や時間通りに物事が進まないことがよくありますが、タイ人は「マイペンライ」(大丈夫)と言って、その後がうまくいくように、気持ちを切り替えて、心にゆとりを持って行動しているように思います。私も、そんなタイの人たちを見て、一緒に行動していくうちに、過ぎたことはあまり気にせず、次どうするかを考えようと今までよりも心にゆとりを持って、柔軟に物事を考えられるようになったと思います。
あっという間に時間が経ち、私の派遣期間も半分が過ぎました。残りの4ヶ月では、活動の幅を広げ、生徒が日本を身近に感じられる機会を増やしたいと考えています。そこで、高校2年生の SECクラスの生徒さんと私の派遣校の生徒で年賀状交換を通して、交流する機会を設けて頂きました。先日、私の生徒に、「日本の高校生と年賀状の交換をします」と伝え、目白の学生さんたちの写真を見せると、目を輝かせて、はしゃいでいました。生徒たちは日本語パートナーズ以外の日本人、ましてや同世代の日本の高校生と交流した経験がないので、みなさんと年賀状の交換ができることを本当に楽しみにしています。私も生徒たちの喜ぶ顔を見るのが楽しみです。今回協力して下さる、高校2年生の SECクラスの皆さん、本当にありがとうございます。
最後になりますが、日本にはあまり馴染みのないタイの地域にも日本語を学習している生徒たちがいることを少しでも知ってもらえたら幸いです。
そして、今回は、卒業生として記事を書く機会を設けて頂き、改めて深く感謝申し上げます。また、記事を読んで頂いた皆様、ありがとうございました。
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授業の様子 -
卒業式 中央右